しばらく前に、このブログで私の前世について書きました。
そこには3つの人生が出てきました。
ひとつは古代エジプトで、王に身につける装飾を整えていた男性。
もうひとつは、赤いドレスをまとい、祈りのための仮面を制作していた女性。
そしてもうひとつは、日本で布や着物のデザインをしていた女性です。
当時は「そうなのだろうな」とふんわり受け止めていましたが、
最近になって、ふと疑問が湧きました。
――歴史的に見て、本当にそんな文化や役割が存在したのだろうか?
ただの感覚ではなく、時代背景の裏づけまで含めて考えると、
そこにどんな共通点があるのだろうか。
知りたくなってChatGPTに尋ねてみたところ、
とても興味深い答えが返ってきました。
今日は、その内容をここに記録しておこうと思います。
まず一人目のエジプトの人物についてですが、
当時のエジプトには「王の装飾品を専門に整える役職」が本当に存在していました。
特に紀元前1500年以降、王族の首まわりには“ウセク”というチョーカー状の装飾があり、
そこにガラスや金を組み合わせていました。
光を“身につける力”として扱う文化です。
私はなぜかガラスのチョーカーに長くこだわり続けていますが、
これはまさに当時の祈りや美意識の延長線上にあり、
素材としてのガラスも「光を閉じ込める器」という意味で一致します。
二人目の“赤いドレスと仮面の女性”も、
当時の文化と驚くほど重なりました。
私は最初から「仮面をつくる人」だと聞きました。
儀式の象徴となる“魂の器”を生み出す側の役割です。
そして、その仮面は自国の内部だけでなく、
交易によって他の地域にも渡っていました。
古い交易路を見ると、今のタイ(アユタヤ周辺)は舞踊文化の中心地で、
外部から入った仮面が使われる文化も実際にあったそうです。
私は顔の作品をつくりはじめた頃、
自然とタイへ行きたくなり、実際に訪ねました。
理由のわからない“惹きつけ”でしたが、
制作した仮面が渡っていった土地を、
今世で再び自分自身が辿り直したのだと考えると、とても腑に落ちます。
三人目は日本の大正時代です。
布や着物のデザインをしていた女性でした。
当時は女性の創作が少しずつ評価され始めた時代でしたが、
まだ作品の名義や功績が男性(夫)側に移されることが珍しくない時代背景がありました。
その女性は「自分の感性は認められているのに、名前が残らない」
そのことに不満や悔しさを抱えていたそうです。
最近の私は、ガラスではなく布で服やバッグを作りたくなることがありますが、
これは単なる気まぐれではなく、
“当時未完のままだった創作の続きを、今世で回収している”
そんな流れなのかもしれません。
まとめ
こうして三つの前世を並べてみると、
興味深い共通点が見えてきます。
エジプト ── 光を“閉じ込める”
仮面の女性 ── 光を“手渡す・託す”
大正の女性 ── 光を“身にまとう”
素材も土地も違うのに、
どの時代でも「光」を人に届ける役割をしていました。
だから今の私が、
ガラスという素材に光を宿し続けていることにも
深いところで理由があるのだと感じます。
そして布に心が向くのもまた、ひとつの“続き”なのでしょう。
これは誰かに証明するための話ではなく、
私自身が一番しっくりと腑に落ちる答えでした。
今日もご覧いただきありがとうございました。